彼岸花の咲く場所(GL/百合/悲恋/LGBTQ+)



2025-02-08 18:36:18
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 とある男女共学の高校の、階段の踊り場。今まさに青い春が放課後の朱い光に包まれていた。
 「奈緒ちゃん、俺、奈緒ちゃんのことが好きなんだ。ごめん、黙っていられなかった」
 奈緒と呼ばれたおさげの少女は、目を見開き、暫し呆然と目の前の幼馴染を見つめた。幼なじみの名は薫。クラスは違うが、同じ学校、同じ学年の、ショートヘアのボーイッシュな少女だった。
 奈緒は今まで、薫を仲のいい親友だと思っていた。だが、薫は違ったのだ。奈緒を恋愛対象として付き合ってきたのだ。奈緒は心の整理がつかない。どう反応していいか、忙しなく脳を回転させて、最適解を探す。傷つけないように、断る言葉はないものか。
 「あ、急にこんなこと言われても困るよね。ごめん。でも、俺はこれ以上友達ではいられない。お願い、俺と付き合ってくれないかな…」
 薫は振られるのを承知で強めに本音をうちあけた。親友で幼馴染みの奈緒なら、付き合ってくれるかもしれない。今までもずっと私たちは仲良しでいたのだから。しかし。
 「ごめん薫ちゃん。私、薫ちゃんを彼女としては見られない。友達のままじゃだめかな?これからも友達として仲良くして…?」
 薫はその不器用な優しさに、何故か深く心を抉られた。嫌いだと派手に振られた方が幾分スッキリしただろう。それなのに、なんだその優しさは。友達は無理だと言ったのに。
 「俺、友達はもう無理だって言ったよね?なんでそんな中途半端に優しくすんの?」
 「えっ、だって、薫ちゃんは幼馴染だよ。薫ちゃんの彼女にはなれないけど、幼馴染ではあるじゃない」
 奈緒は薫の決死の覚悟を何も理解していないようだった。友達でなくなるか、恋人になるか、薫には二つに一つしか道はないと思っていた。
 こんな恥ずかしくて無様な告白をして、今まで通り仲良くなんて、そんな恥ずかしい真似が出来るはずがない。
 「何も分かってないんだね。俺は今まですごく苦しかった。死にたいぐらい好きだった。奈緒ちゃんの笑顔が辛くて、奈緒ちゃんの手に触れられるとビリビリ痺れて、奈緒ちゃんを襲いたくて堪らなかった。その葛藤がこれからも我慢し続けなくちゃいけないなんてもう無理だ。気が狂いそうだよ!振るなら振れよ!嫌われた方が清々するっつの!!」
薫は奈緒を突き飛ばすと全力で駆け出した。
「薫ちゃん!待って!やり直そうよ!」
奈緒の叫びも虚しく、薫は学校を飛び出した。

 薫は走った。セクシャルマイノリティの自分を認めてくれるところを探して、走り続けた。
 薫はこれまでも自身のセクシャルについて思い悩み、スマホで様々な情報を探し続けていた。そこでヒットしたのが繁華街にある一軒のレズパブである。
 その店は、夜の街華灯町にたった一軒営業しているレズ専用の飲み屋である。
 まだ高校生の薫は華灯町に近寄ったことすらない。でも、卒業したら一度行ってみたいと、目星をつけていたのだ。
 地下鉄に駆け込み、最寄り駅まで揺られる。地上に出れば、歓楽街華灯町だ。
 まだ夕日が差し込む歓楽街だが、早くも営業している店は多く、仕事帰りの大人たちで賑わっていた。そのパブは『PUB とおる』といった。ネットに掲載されていた紫色の看板を探す。
 大通りから横道に逸れ、奥まったところにその店はあった。入り口の花壇には夥しく燃え盛るような真っ赤な彼岸花が咲いている。
 「いらっしゃーい!」
 重いドアを押して中に入ると、カランと鳴るベルの向こうから威勢のいい声をかけられた。しかし、高校のジャージ姿の薫の姿を認めると、店主は急いでカウンターを飛び出し入り口に駆け寄ってきた。
 「ちょ、ちょっと待った、ちょっと待った。お嬢さん、高校生?駄目だよこんなところに来ちゃ」
 店主と思しき人は、頭を刈り上げにした中性的な見た目の人だった。胸は平らだが、どことなく女性の面影があるので、おそらく性転換手術をした元女性だろう。声は男性の声を裏返したような複雑な声色をしていた。
 薫は泣いていた。学校を飛び出してからずっと泣き続けていた。涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて鼻をすする。
 「俺をここで雇ってください…」
 薫はそういうと、その場にしゃがみこんで堰を切ったように慟哭を上げた。
 「ちょ、待った待った、こんなとこで泣かないでくれよ!とりあえず話聞くから、中入って!な!ミルクでも出してやるよ!ったく、なんなんだこの子……。ほら、立って、歩けるか?」
 薫は店主に促され、カウンターの隅に座ると、店主が取り急ぎ冷蔵庫から出したばかりの牛乳を一口飲み、やっと泣き止んだ。まだヒックヒックとしゃくりあげているが、とりあえず落ち着いたようだ。
 「お嬢ちゃん、何があったんだ?ここは飲み屋だから高校生は立ち入り禁止なんだよ。牛乳飲んだら話聞くから、落ち着いたら早めに帰ってくれないか?警察来るからさ……」
 「ごめん、なさい……。でも、どうしても、話聞いてもらえそうなところ、ここしかわからなくて……」
 薫は今日あった出来事、幼いころから感じていた違和感について、語り始めた。

 薫は幼少期から女扱いされることに違和感があった。スカートを買い与えられても穿こうとせず、「ズボンがいい」と言って親を困らせた。特撮ヒーローにあこがれて、変身ベルトを買ってと駄々をこねた。小学校に上がったとき、ピンクのランドセルを買おうとする親にわがままを言って、女の子用の水色のランドセルを買ってもらった。青がいいといったが、両親はなんとしても薫に女の子らしくなってもらいたいと、可愛いランドセルを選ばせようとなだめすかして、しまいには怒り始めたので、妥協点として水色でスカラップのあしらわれた可愛いランドセルに落ち着いた。
 薫は女子を強制されるのが嫌だった。そして、初恋の相手が幼馴染みの奈緒である。小学校で知り合った唯一の親友。奈緒は男らしくあろうとする薫をいつも理解してくれていたように思う。
 しかし、違ったのだ。あくまで奈緒は”男っぽい女の子”として薫の友人でいたのである。
 薫は奈緒がOKしてくれたら男として生きようと覚悟を決めていた。奈緒に相応しい男になろうと。薫は奈緒を信頼していた。奈緒だけは理解してくれているという自信があった。もし振られたら、もう生きていけない。薫は生きるか死ぬかの賭けに出た。その結果がさっきの顛末である。奈緒は嫌いとは言わなかった。軽蔑もしなかった。ただ、友達でいたいという情けをかけたのだ。その生ぬるい優しさが、薫の心を切れ味の悪いナイフで抉ったのだ。
 「俺は、いっそ絶交してもらった方がすっきりしました!!もう、もう学校にいけないです!!どんな顔して明日学校に行けって言うんですか……。もう、無理だ……。奈緒と急に絶交したことが知れ渡ったら、俺がレズだってばれちまう。絶対いじめられるに決まってる……。汚いものを見るような目で見られるんだ、今までみたいに!!!」
 薫にとって、レズのカミングアウトほど恐ろしいものはなかった。奈緒にだけは知っていてもらいたい、奈緒だけは信じてくれる、そんな気持ちがあったが、奈緒以外が薫のセクシャルを感じっとったら、どんな顔をされるか……。
 今までも怪しい場面はあった。薫が「男に興味ないから」とうっかり話してしまった時、クラスメートは、「え、じゃあ女子が好きってこと?やめてよー。あたし男の方が好きだから―」と、軽蔑と嫌悪のまなざしで過剰に反応されたことがあった。
 薫にとっては「誰がお前みたいな阿婆擦れ好きになるか!俺だって人を選ぶわ!なんだよ、人を節操無しみたいに!!」と内心憤慨していたが、「そんなわけないじゃん~」と愛想笑いでかわしてきた。
 あの軽蔑と嫌悪のまなざしはトラウマレベルで恐ろしいものである。奈緒もきっとあんな風に軽蔑したに決まっている。そしてほかの人に言いふらすに決まっている。薫はレズだ、告白された、と。
 パブの店主は、じっくり薫の告白を聴くと、真剣な面持ちでふうと一つ長く息を吐いた。
 「なるほどね。よくわかった。俺にも覚えがあるよ。気持ちは解る。そうか……辛かったね……」
 そう言うと、店主は空になった薫のグラスに再び牛乳を注いだ。
 「でも、それは乗り越えなくちゃいけないことだ。逃げていたら、いつまでたっても本物の男にはなれないぜ」
 店主は薫の前に一枚の名刺を差し出した。
 「俺はトオル。ここのマスターだ。もしどうしてもここで働きたいっていうなら、20歳の成人式を終えたらまたおいで。未成年は雇えない。酒を出すからね。今何年生かわかんないけど、高校は逃げずに卒業するんだ。生きろ。戦え。それが女に生まれた男の宿命だ」
 薫はゆるゆると顔を上げ、トオルの顔を見上げた。トオルの眼差しは真剣だった。思わず惚れてしまいそうなほど、理想の男の顔をしていた。
 「……トオルさんも戦ったんですか?」
 「もちろん。もっとひでぇ目に遭って、辛いことも苦しいことも乗り越えて、ここにいるんだぜ。この店に来る人はみんなそうだ。君だけじゃない。そして、ここに居場所を見つけても、きっと世間の冷たい目から完全に逃げることはできないんだ。この戦いは、一生続くんだ。一生戦い続けるんだ。戦い続けているのは、君だけじゃない」
 薫の心に、その言葉はスッと染み込み、深く刻まれた。力強いエールを貰ったような気がした。
 「解りました。あの、お店には来ないですが、困ったことがあったらメールしてもいいですか?」
 「うん。いいよ」
 トオルはニカッと八重歯をのぞかせて笑った。
 薫は深々と頭を下げると、礼を言って店を後にした。
 薫は戦おうと決意した。何があっても、この店で働くまでドロップアウトしない。差別や偏見にさらされても、いつか本物の男になるまで、戦い続けようと誓った。

 その後薫は学校に通い、大学受験に没頭した。奈緒の事は一切無視したし、奈緒も薫に関わろうとしなかった。奈緒と薫の仲の良さを知っている共通の友人は、急にお互いを避けるようになった二人の仲を取り持とうと掛け合ってきたが、奈緒も薫も事情を語らず、その誘いを断っていた。
 薫は内心奈緒が誰かに薫のことを暴露したのではないかと危惧していたが、共通の友人たちが不思議そうな顔をして二人の状況を聴こうとするので、おそらく黙っていてくれてるのだろう。
 やがて薫と奈緒は高校を卒業し、薫は地元の大学に、奈緒は県外の大学に進学した。

 時は流れ、20歳の正月を迎えた。薫が地元の成人式に出席し、旧友たちと久しぶりに再会を喜んでいると、目の端に映った姿に心臓が跳ね上がった。あれ以来一度も口をきいていない、かつての幼馴染みの奈緒がいた。
 「落ち着け、奈緒は県外に行ったんだ。里帰りしたのは今日だけだ。もう二度と会うこともないんだ……!」
 薫はそれとなく奈緒と距離を取り、周りの仲間たちが奈緒に気づかないようにその場を離れた。
 一瞬しか見えなかったが、奈緒はその美しさに磨きがかかったような気がする。きっと男たちは奈緒を放ってはおかないだろう。きっと彼氏ができたに違いない。
 「いいんだ。奈緒には奈緒の人生がある」
 必死にそう念じたが、奈緒の隣に男がいる姿を想像しようとしたら吐き気が込み上げてきたので、慌てて薫は思考をシャットダウンした。

 その日の夜。薫は夢を見た。幼いころの夢だ。奈緒とおままごとをして遊んだ。
 「薫ちゃんがパパで、あたしがママね。で、ジュリエットちゃんが子供」
 着せ替え人形のジュリエットちゃん。奈緒の宝物の人形だ。薫が持ち寄ったのは人形ではなく、怪獣のぬいぐるみと犬のぬいぐるみだった。
 「トーマス、リリー、お散歩に行くよ!」
 奈緒がジュリエットを操り、薫はぬいぐるみのトーマスとリリーを操り、ジュリエットの後ろを歩かせた。
 「ガオー、ジュリエット、腹減った」
 「トーマス、何食べる?」
 「奈緒の唇」
 「えっ?」
 いつの間にか幼かった二人は高校生の姿になっていた。
 「奈緒、好きだよ」

 「――はっ!!」
 薫の夢はそこで終わった。懐かしい記憶だった。もう二度と、再現することのできない記憶。
 「……な、なんて夢を見るんだ。最悪だ」
 顔がひんやり冷え切っていることに気づき、そこで初めて、薫はいつの間にか泣いていたことに気づいた。寝ながら泣いていたらしい。
 「……最悪だ」
 今日は『PUB とおる』の面接の日だ。薫は成人式を終えたらアルバイトとして同店で働くと決めていた。トオルには前もって相談し、話を通してある。すぐに採用されるだろう。
 「久しぶりに『とおる』に行く日の朝に、また奈緒に会ってしまった……。なんなんだよ。もう、忘れさせてくれよ……」

 その後、無事に『PUB とおる』に採用され、薫は同店で働き始めた。
 常連客と知り合い、可愛い彼女もできた。大学卒業後、昼は土木建築会社で現場作業員をこなし、夜は『とおる』で働く。薫ががむしゃらに働くのには理由があった。
 性別適合手術。薫はこの中性的な名前のままで、男になることを決めた。
 女性のままでは彼女と一緒に暮らすことも結婚することもできない。何より、女性のままでいることはたびたび薫を苦しめた。
 大学卒業後は女性らしい恰好を強いられる場面が多く、嫌でも自分の体の性を自覚させられたし、職場で女性だからと気を遣われ、男扱いしてほしい薫との間に壁を作られた。それは耐え難い苦痛だった。
 10年働いた。寝る間も惜しんで働き続け、精神の不調と闘いながらホルモン治療を受け続けた。そしてついに、手術に必要な資金が集まった。
 薫はパスポートを取得し、飛行機でタイに渡った。タイはセクシャルマイノリティーの聖地。世界中から性別の違和に苦しむ人が集まり、性別適合手術を受けに来る。いよいよ、薫は子宮と乳房を捨てるのだ。
 「いよいよだ。やっと、俺は本物の男になれる……!」
 手術前夜、薫は夢を見た。また、もう二度と会わないと決めた奈緒が、高校生の姿のまま微笑んでいた。
 「薫ちゃん。今日は何食べたい?」
 「フライドポテト!」
 「また~?ホント薫ちゃんポテト好きだね」
 夢の中の二人は、同棲しているようだった。
 「ねえ奈緒ちゃん、俺、男になってよかった?」
 薫は夢の中で既に男性になったようだった。
 「うーん、私は女の子のままの方がよかったな」
 次に見た風景は、夜明け前の病室の天井だった。これは現実である。奈緒の言葉から、急に現実に引き戻された。夢は終わったのだ。
 「奈緒ちゃんは、未だに俺の夢に出てきて、そんなこと言うんだね……」
 薫は個室の病室で一人泣いた。最愛の奈緒に、子宮と乳房を残せと言われた。だが、薫は今日、それを失うのだ。
 「戦うって、決めたんだよ、奈緒ちゃん。もう、俺はやっと念願の男になるんだ。その夢を、応援してくれよ、奈緒ちゃん」
 その日、薫は男に生まれ変わった。一度も汚されたことのない、清らかな子宮を捨てて。

 そして、薫は帰国後自分の店を構えることになる。華灯町の片隅のビルの3階。ビルの入り口には真っ赤な彼岸花が咲く。あの日、幼馴染みに失恋して夜の街で働こうと決めた日も、燃えるような彼岸花が咲いていた。彼岸花の花言葉はーー。薫は店名を『彼岸花の咲く場所』と名付けた。

END.

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